再現 砲台跡

早いもので10月も終わりです。
もうすぐ、企画展「小笠原」展も終了です。

掲示されたポスターも

もうすぐ・・・。

あ、これはどこかといいますとね、東京の竹芝客船ターミナルから
小笠原村父島に向けて出港している
「おがさわら丸」の船内なんです!

今回は特別に、当館で開催されている企画展のポスターを
船内に掲示していただきました!

それに加えてなんと
  小笠原村の
役場の中にも!(写真提供:小笠原村産業観光課)

たぶん、GAOで作ったポスターが掲示されてる範囲では
今までで一番遠いんじゃないかな・・・。

先日の「小笠原アカデミー」では、
ついこの間に小笠原を訪れた女性のお客様がいて

  話が

すごく盛り上がってしまい、終了後も30分くらいお話してしまいました・・・。

本当はダイビングをしに男鹿に来たそうなんですが、当日は
海が荒れており偶然GAOに入ったところ、小笠原展がやっていて・・・
という・・・
なんとも不思議なものですね。

自分がお邪魔したのは5月のことで
なんだかはるか昔に思えてしょうがありません。

撮ってきた写真をたまに眺めては(仕事しなさい)
今度はもっとこんな写真を撮りたいぞとか
勝手に思いを馳せているわけですが

今見ても、これには衝撃受けたな・・・

こちらは母島に残されている太平洋戦争の跡、「戦跡」の一つです。
砲台跡と呼ばれており、1つだけではなくいくつか残されています。
今にも使えそうですが・・・

小笠原は太平洋戦争終戦に日本が敗戦後、アメリカの統治下に置かれます。
簡単にまとめてしまうと、アメリカの統治下に置かれたために、この砲台や
他の戦争跡が残されたといっても過言ではありません。

戦争後、日本では鉄をはじめさまざまな資材が不足しており
物資に回せそうなものや戦争の跡は撤去・回収されました。

ですが、アメリカでは資材不足ということはなく
こういった大型のものを回収する優先順位は低かったようで
そのままにされていたそうです(諸説あるかもしれません)。

だからといって、完全に放置していたわけではなく
残されている砲台の先はすべて


ぎざぎざのぼろぼろ。

もう使えなくするため、中に火薬をいれて
内部は破壊されているそうです。

それでもこんなに外側ががっちり残っているなんて、
何だか今にも林の中から何かが出てきそうな雰囲気でした。

砲台の横に

貝殻が・・・

って、貝殻大きすぎない??

実は・・・

オカヤドカリです。
すさまじくでかい?!

ということではなく


このように・・・

そうです、こちらの砲台は当館スタッフが再現したものです。
企画展「小笠原」内では
  砲台跡を
再現した水槽が1基あり、その中にオカヤドカリも一緒に展示しています。

ヤドカリとついていると男鹿ではもちろん磯とか海の中の生き物ですが

「オカ」とついている通り、オカヤドカリは
基本的に陸上で生活します。

実際、お邪魔したときも

こーんな感じでいましたもんね・・・。
「踏まないように足元注意して」って言われたもん。

ですが生まれてしばらくの間は海中を漂う幼生の形をとり
(このへんは他のヤドカリと同様)、体が出来上がってくると
上陸するようです。
上陸する時点では、自分に合った貝殻を背負っているそうです。

想像するんですよ。

自分が

①自分より超でかくて強い生き物がいるとんでもなく広い
空間を漂う
②自分に適合する家を探し、その家とともに移動する
③ころあいを見計らってその空間から抜け出し、それまで
知ることもなかった世界を今後メインの生活拠点にする

海を漂って大きくなったということは、陸に上がるまで
陸を知らないはずの生き物が
陸へと生活の場を移行させるスイッチは一体どうやってできているんでしょうね。

不思議だなーと思いながら
オカヤドカリを眺めているのが好きです。

たまには殻から出てきてくれんかとも思いましたけど・・・

企画展「小笠原」展は11月5日(日曜日)までです。

8月20日に放流したウミガメは、
一体どこを泳いでいるのやら。。。

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