元特攻隊員のノート

これまでたまに
GAOの生き物ネタじゃないことも
ちょこちょと登場しているこの場ですが

今回はそれです。

今年、これまでにも増して
「戦争」「終戦」という言葉を聞くような気がしたのですが
昭和20年8月15日、第二次世界大戦において
ポツダム宣言を日本が受け入れることを
「玉音放送」という形で発表された日から・・・

そうか2018年の8月15日が
平成最後の終戦記念日になるのか。

自分事ですが、最近祖父が亡くなりました。
祖父は特攻隊でした。
家には今でも勲章があります。

なんかじーちゃんは
戦争のときえらい人だったんだと
漠然と思っていましたが
そんな簡単な言葉で片付けられるものじゃなかった。

祖父は戦時中、数冊にわたり

 写真や

 隊の方が
書き記したものを集めたノートを作っていたようです。

映画やドラマで見たような
「国のため」とかそういう言葉が

 そこには
ありました。

飛行機ごと敵艦に突っ込んでいき
自分の命と引き換えに敵国にどれだけでもダメージを与えるという
任務なんて
今このご時世で考えれば
そんな無謀なこと、と思えることが
ほんの73年前にはあった証拠です。

「死にたくない」とか
「もっとこんなことをしたかった」とか
後悔や何かを恨むような
そんな言葉は一つも残っておらず
(そりゃ書けなったわけで)

力強いとか、勇ましいとか
これだけを見たらそんな印象を持ってしまいそうです。

これを書いた人はおそらく
もう死んでいるのです。
何十年も前に。

結果を知っている今
この文章の向こう側を考察せざるを得ません。

さて、祖父はというと
飛行機乗りでしたので、飛行機に乗ったことは乗りました。

しかし目的地に向かう途中、飛行機が故障し
最終的に西日本にある島にたどり着いたそうです。

自分が祖父の口からまともにそれを聞いたのは1度だけでした。

文集のような、特攻隊で亡くなった人や
かつての隊だった人の手記を集めた冊子が届き、
そのときそれを見ながらおもむろに話しはじめました。

「生きている間に一度、そのとき不時着した島に行きたい」と
話していました。
私はその話を初めて聞いたときまだ学生で
就職して数年経ち、ふとその話を思い出し
その島がどこかもわかったので
一緒に行こうと持ちかけたところ

「なんでいまさら。自分だけ生き残って。恥ずかしい」と
うつむき黙ってしまいました。

ドキュメンタリーとかで見たことがある
戦争中に生き残ってしまって申し訳ない とか
自分だけが とか
正直、どこかで「そんな極端な」とか思っていました。

今は生きているんだし、亡くなった人の分まで生きるとか
そういうプラスの考えを少しでも持ってもいいのではないかと。

しかしそういう想いが、身近に存在したんだと
一気に血の気が引いたような気がしました。

以後、その話はしなくなりました。

その後、祖父は体調を崩しがちになり、
外出することも減り、そして亡くなりました。

あのとき自分は自分の興味・好奇心から
余計なことしちゃったかなあと後悔しています。

ノートには、同じ隊の方だったのか
一人一人の顔写真が貼られたページがあり

何人かの顔写真の横に
「戦死」と書かれていました。

不時着した島に行ってみようという前に
このノートを見ていたら
自分はにこやかに「その島に行ってみよう」と言えただろうか。

もう1人の祖父はかなり前に亡くなりましたが
やはり戦争を経験した人でした。
立場的に軍隊を指揮する側だったそうです。

病院に行って検査を受けたらそのまま入院、
そして間もなく亡くなりました。

日に日に意識が朦朧としていく中で
「〇〇(たぶん人の名前)!そっちへ行くな!」と
突然大声を出したことがあるそうです。
目の前には戦時中の光景が広がっていたのでしょうか。
こちらの祖父の口からは、戦争の話を一度も
聞いたことがありませんでした。

思い出すことがつらい出来事とかは
戦争なんて知らないけど現代の世の中を生きていても
山ほどあるわという声もあるかもしれませんが

きっとそれは比べる世界がもう異なっている。

今自分達が生きているのは
戦争を経た人たちがいるからなわけですが

戦争を知る人たちは今この世の中を
どう思っているのでしょうか。

元特攻隊の祖父のノートの中、鼓舞させる文言が続く中で


これからを生きる人へ向けたような言葉がありました。

じーさんが飛行機に乗ることは決まっていたはずなので
後々、これを見るであろう人へのメッセージなのか。

それとも、もしかしたら、
もう少しで争が終わると
うちのじーちゃんはこれから先を生きると
そういう何かがあったのだろうか。

多くの人を見送り
自分が生きて帰ってきたという感覚を
2人の祖父はそれぞれ戦争が終わってから死ぬまでの間
ずっと持ち続けながら生きたということは
戦時中を知らない自分には想像できない酷な話です。

自分だけが生き残って、とか
そういう想いもあったことと思いますが

2人が生きて帰ってこなかったら
そもそも私はいなかった。

命を粗末にできないな。
そう思いました。

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